合唱とブラスのための楽曲
「大いなる秋田」
合唱とブラスのための楽曲「大いなる秋田」は1968年(昭和43年)に明治百年記念事業の一つとして、秋田県からの委嘱で作曲家・石井歓(1921 - 2009)によって作曲されました。
この年は明治元年から数えてちょうど百年目に当たる年で、全国各地で明治以来の歴史をふりかえり、次の百年への希望をこめた行事や事業が行われました。
同年の11月10日に、秋田市山王の県立体育館で作曲者石井歓の指揮のもと、県内の中、高等学校の生徒の演奏によって初演されました。
当初の企画では大編成のオーケストラと混声合唱のための楽曲として作曲される予定でしたが、当時から秋田県内では中、高等学校の部活動を中心として吹奏楽活動が盛んであり、かつ「この楽曲が県内の各地で演奏され、広く県民に親しんでもらえるように」という考えから、現在の吹奏楽と混声合唱との楽曲として作曲されました。
こうした考えが実を結び、現在では毎年県内の各地で「大いなる秋田」が演奏されています。
当時の吹奏楽には無かった、混声合唱との非常に斬新な試みが取り入れられたこの楽曲は、 秋田の地に深く根付き、演奏者、聴衆の心を魅了し続けています。
曲は四楽章構成で、それぞれ第一楽章「黎明」、第二楽章「追憶」、第三楽章「躍進」、第四楽章「大いなる秋田」と表題がつけられています。
文字通り「大いなる秋田」テーマとした曲として、秋田の豊かな自然、風土、古くから伝わるわらべ歌、にぎやかな祭りなど多彩な秋田の魅力を表現した、色彩感あふれる楽曲となっています。
また、当時の小畑勇二郎秋田県知事による「曲中に忘却された成田為三の県民歌を」という強い要望から、成田為三(1893 - 1945)作曲の「秋田県民歌」が第三楽章に組み入れらました。
ただし、作曲時には第三楽章には県民歌の合唱が加えられておりませんでした。
しかし、その雄渾なメロディが再認識されたことで「県民歌を歌いたい」と県民から声が挙がり、作曲の後に「秋田県民歌」の合唱が加えられることとなります。
第四楽章では一般公募により作詞、作曲された「秋田県民の歌」が挿入されています。
●秋田県民歌
1930年(昭和5年)に制定された県民の歌。作曲は秋田県出身の作曲家・成田為三。
作詞は一般公募により、作詞家・倉田政嗣。成田と倉田は秋田師範学校の同窓生となる。
また、歌詞の修正を、作詞家・高野辰之が行っている。
日本三大県民歌の一つとしても挙げられ、落ち着いた曲想で滔滔と歌い上げられる。
秋田県の公的な式典で斉唱されるほか、2001年のワールドゲームズ秋田大会などでも斉唱された。
2010年に制定80周年を迎えた。
●秋田県民の歌
1959年(昭和34年)秋田県庁の新庁舎の記念として制作された。
また、1961年(昭和36年)に控えていた秋田国体での県政の躍進という願いも込められていた。
作曲者は菅原良昭。作詞者は大久保笑子。